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いつの頃からか、幅広い世代に愛され親しまれる名曲が非常に少なくなっている一抹の寂しさを感じるようになりました。子どもから大人まで口ずさめる歌が、確かに、昔は多かったような気がします。特に、昭和という時代は・・。
たとえば、ピンクレディ、どうだったでしょうか。幼稚園児から20代の女性まであの独特の振り付けで踊りながら大きな声で歌っていた光景がそこここにありました。ちなみに、ピンクレディ旋風といわれた社会現象は昭和50年代前半の出来事でした。
それに比べて、平成という時代はどうでしょうか。
歌の好みが各世代でセグメントされ、幅広い世代に支持される楽曲が極端に少なくなったのではないか。平成は、昭和と比較し、日常生活と音楽との密着度が薄くなった時代ではないのか。そのように思われて仕方がありません。
でも、なくなったわけではない。そんな問題意識から、「語り継がれる平成の名曲」とテーマ設定し、いつもの独断と何とかというやつで自分なりに多くの歌謡曲・ポップスファンのこころを打った楽曲をライン・アップしてみました。
これからベスト5の楽曲を発表いたします。
あらかじめご了承いただきたいことは、この5曲、どの曲が1位になっても全然問題ないということです。どの作品も、平成のうたとして長く幅広い世代に歌い継がれる素晴らしいうたに間違いありません。あえて、順位付けする必要ないのですが、わたしの好みの問題としてご理解いただければ幸いです。
では、第5位から・・・・・
第5位 世界に一つだけの花 (平成15年)
作詞・作曲 : 槇原 敬之 歌唱 : SMAP
NO.1よりONLY ONE。戦後、高度成長期という競争社会を生きてきた自分にとって、正直頭をガツーンと殴られたようなショックを受けました。このフレーズでどれほど多くの人の心が癒されたり、救われたかもしれませんが、一方で、競争しないで良いんだというぬるま湯的な風潮が浸透し、社会の活力が削がれていくのではないか。
そんな心配をさせるくらい、オンリーワンという新たな価値観は、世の中に一石を投じたものと思います。
この楽曲は、マッキーこと槇原敬之の作品ですが、槇原作品のひとつの特徴は、歌詞全体がほとんと口語体(しゃべり言葉)で仕上がっていることです。彼がデビューする以前は、一部の作品を除いて他のシンガーソングライターが作る作品の歌詞は、文語体がほとんどなのですが、槇原は1992年『どんなときも』のデビューで全体が口語体で構成された作品を世に出します。以来、このタイプの作品が大きな勢力を占め、J−POPの世界で一大変化が巻き起こります。日常会話がそのまま歌詞になり、結果、言葉数が多くなり、ひとつの楽曲で収めようとすると、メロディライン重視よりもリズム中心のアップテンポ曲が多くなりました。一連の小室サウンド、つんく作品等はその代表的なものではないでしょうか。でも、このことによってわたくしのような文語体の韻を踏んだ歌詞に慣れていた世代は現在のヒット曲がまったくわからない状態に陥ったわけで、槇原敬之というアーティストはなんともはや罪深い存在でもあります。
ただこの『世界に一つだけの花』は子どもから大人まで親しく口ずさめる歌として息の長いヒット作品として親しまれています。
第4位 サライ (平成4年)
作詞 : 谷村 新司 作曲 : 弾 厚作 歌唱 : 谷村 新司
真夏の24時間テレビがスタートし20年近い月日が経ちました。この番組の公式テーマソングがリリースされたのは平成4年。番組の中で半ば即興的に谷村新司、加山雄三両氏が制作されたことを覚えております。そのとき、これだけ息長く歌われ続けていく作品とは予想だにしませんでしたが、この歌の不思議なことは、まぁ、どちらかといえばスルメのように噛めば噛むほど味が出て、飽きのこない作品であることは納得できるところです。
ただ、この歌は、みんなで歌うことが鉄則です。まちがってもひとりで歌い、みんながそれを聴いているという状況は最悪です。とにかく、長い。なんと10分もあります。以前、カラオケでこの曲を歌い、あまりの間延び状態からひんしゅくをかい「もうやめたら・・・」と言われた人を何人も知っております。ついでに申し上げておきますと、『サライ』のほか、『昴』、『群青』の谷村作品、『海その愛』、『精霊流し』、洋楽では『マイウェイ』などは最も危険な楽曲ですので歌われる場合は、それなりの覚悟でよろしくおねがいいたします。長い冗談はさておき、この『サライ』(ペルシャ語、小さな宿・オアシスの意、この歌では故郷の意味合いで使われている。)は、全体で合唱すると集団催眠にあったかのように心からジーンと感動がこみ上げてくる平成の名曲です。
第3位 千の風になって (平成15年)
作詞 : 不詳 訳詞 : 新井 満 作曲 : 新井 満 歌唱 : 秋川 雅史
こころに沁みる名曲です。ヒットしていた期間も異常に長く紅白歌合戦でも3年連続この曲を秋川雅史が熱唱しました。
ただこの作品、もしも、昭和の時代に生れていたとしたらこれほど多くの人に支持されたかどうか。ヒット曲は、時代の流れ、風潮、世相とけっして無縁ではなく、むしろそういった要素を反映したところがあるのではないかとつくづくそう思います。『千の風になって』は、まさしく、将来に一抹の不安を感じながら何か安らぎを求めて生きていかなければならない高齢化社会をバックボーンにした作品であり、だからこそ、幅広い支持を得たのではないか。
冒頭の歌詞に、いきなり、お墓が出てきます。日本歌謡史上、ここまで暗い状況設定の歌はないのではないか。ひと昔前までは、企画段階で確実にボツになっていたことと思います。いま、世の中は、出口の見えない経済不況、底なしの沼状態のデフレスパイラル、年金・介護不安がずっと続いておりますが、一種の大衆の知恵なんでしょうか、このような歌を口ずさみ、気持ちをなぐさめ、少しでも力強く生きていこうとこころの糧にしているのかもしれません。合掌・・・・・・。
第2位 涙 そうそう (平成12年)
作詞 : 森山 良子 作曲 : BIGIN 歌唱 : 夏川 りみ
いきなりクイズを出して恐縮ですが、この歌の主人公はだれを想った歌でしょうか。
と問いかければ何とお答えになるでしょうか。恋人、友達は不正解。正解は兄弟愛を歌った作品です。作詞の森山良子は、デビュー間もないころたいへんに慕っていた兄を亡くします。最愛の兄をうしなったショックがあまりに大きく、彼女自身長く心の中に封印していた悲しみの扉を開けたのが、BIGINの作曲したメロディーでした。もともとラジオ番組で知り合った両者がいつか曲を作ろうと約束したことかきっかけですが、ある日、森山のもとに『涙そうそう』とタイトルの入ったカセットが送られてきます。涙(なみだ)そうそうとはいったいどういう意味なのか、照会した森山に、「涙があふれて止まらない状態のことを沖縄では、なだそうそうという」との意味を教えられ、すぐに兄への慕情がふつふつとこみ上げ作詞につながっていきます。ですから、この曲は、メロディーが先行し、あとで作詞をつけた曲先(きょくせん)の楽曲です。
ともすれば、曲先の場合は、歌っていた場合ところどころに少し歌いづらい箇所があるのですがこの曲は自然な流れで歌えます。ちなみに、デビューして鳴かず飛ばずであった夏川りみがこの歌で大ブレーク、メジャーの仲間入りを果たします。
平成の世になり、幅広い世代に歌い継がれていく歌が極端に少なくなってきました。
でも、この作品は、私たちが生活をおくる中で、ふと悲しい時、こころを慰めてくれたり、人生の何かの選択に迷った時、ちょっと自分を後押ししてくれる、人生の癒し系応援歌として、長く歌い継がれていくことと思います。
第1位 少年時代 (平成4年)
作詞 : 井上 陽水 作曲 : 井上 陽水・平井 夏美 歌唱 : 井上 陽水
思えば、陽水がデビューして何年になるでしょうか。わたくしが社会人になって間もなくLPアルバム『氷の世界』がミリオンセラーとなり、一躍シンガーソングライターとして脚光を浴びました。こころもよう、夢の中で、白い一日、氷の世界等々数をあげればきりがありません。以来十数年、数多くの名曲を世におくってきた陽水ですが、どちらかといえば、それらの曲の大半は、彼の世界に共感して支持するものが多かったように思います。しかし、この『少年時代』に限っては、はじめて大衆路線というか子どもから大人まで、別に陽水のファンでなくてもだれもが口ずさめる歌として作られた気がいたします。(もちろん、彼自身はそのような意識はなかったかもしれませんが)
もうどこかの音楽教科書に掲載されているかもしれませんが、『YESTERDAY』や『翼をください』のように、このうたを教室で学生のみなさんがごく当たり前のように歌われる日も遠いことではないのではないか、平成の超スタンダードな名曲として愛され親しまれることは間違いないと思います。
以上10曲をご紹介しましたが、書き終えてみて若干寂しさが残ります。というのは、平成が21年過ぎた段階で長く歌い継がれていく作品の数があまりにも少ないのではないか。POPSにせよ、歌謡曲にせよ、うたそのものの寿命も短くなり商品化された歌がつぎつぎと発表され消費されていく、そのような現象に一抹のさびしさを感じるのはわたしだけでしょうか。
またいつの日か、あの昭和という時代のように、雨後のタケノコのように幅広く大衆が支持する名曲がどんどん生れてくるように祈るばかりです。
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