関西を拠点に活躍するヴァイオリニスト中島慎子さんは、いずみシンフォニエッタ大阪の奏者としてもおなじみ。演奏家としての本音トークや日常の四方山話をここでお楽しみください。
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その弐拾捌 最終回


 おかえりなさいませ。慎女将でございます。
 慎女将の温泉玉子、茹で上げるのも今回が最終回となります。
 皆さま、長らくのご愛読、ありがとうございました。

 女将にとって文章を書くのは、大勢の前で話すよりはずーっと気が楽で、それほど苦手な作業でもないのですが、やはり執筆を生業(なりわい)とするプロの文章にはほど遠く、恥ずかしく振り返るばかりです。
 幼い頃から本は好きでしたが、小説よりもエッセイや伝記が好き。それもいったんある著者が好きになったら、一気に著作を全部集めようとするハマり読みタイプなので、かなり偏りがある女将の本棚です。
 ざっと確認いたしますと、著作の多い順に、土門拳(圧勝!本棚一段近くあります)、白洲正子、米原万里、塩野七生、高峰秀子、岸田今日子、・・・向井万起男、西村淳・・・・・・続く。(敬称略)
 あら?
 気付いたのですが、塩野女史は別として、本業は作家にあらず、という方、多くないですか?(塩野女史も小説家と呼ぶよりは、歴史家?)
 それに本業自体、ユニークな方が多いです。
 写真家に、通訳さん、女優さんに、医師に南極料理人・・・
 うむむむ・・・
 先ほどの、本業でないから文章が下手、という言い訳は通じませんわね。
 ムムムー

 結局、女将はエッセイの内容や結論はともかく、その人物の世界の見方、モノゴトのとらえ方が好きでファンになっているのかも☆
 考えればこれは、クラシック音楽の演奏にも通じる話です。
 元となる楽譜は同じものを見ているはずなのに、実際に音となって現れる音楽は十人十色。百人百色。千差万別。
 解釈の違いというよりも、人間の違いが表れるのかもしれません。
 大きな、豊かな人間に成長して、切り口あざやか、生き生きとしたエッセイ、音楽をどんどん発信出来るよう、そんな未来の女将を目指したいものです。

 パラドックスかもしれませんが、女将がヴァイオリニストで良かったな、おもしろいなーと思うところは、音さえあれば言葉も要らない世界で漂えるところなのです。
 身体では楽器を弾き、耳では音を聞き、意識は音楽から離れず、心では自分の欲しい音のイメージを瞬時に変化させて、感情の起伏だけを追って音色にするのですけれど・・・(まったりチョコレートソースをかけたナッツアイスクリームが美味し過ぎて身体が浮き上がった感じ、だとか。こんな想像は、食いしん坊の女将ならでは?)
 やはり言葉では巧く説明するのは、ムズカシイですが、演奏中はすべてが同時進行の濃密な時間。

 現実では「ここ」に居ながらにして、心を別の世界の「どこか」に飛ばすことが出来ること。
 想像の世界に旅立てるところが、音楽の醍醐味だと思うし、ましてや自分自身で演奏する場合、その世界は自由に、意のままに組み立てられるのですから、これ以上何をゼイタクやわがままを申すことが御座いましょう。
 特にクラシック音楽は、ほかのジャンルの音楽に比べて、より自由に、はるか遠くにまで想像の旅を楽しめる世界だと女将は思います。やっぱり女将の一押しです☆
 この喜びを、もっともっと大勢の人に知って欲しいし、愉しみを多くの人と共有できればいいなーと。もう、ぜひぜひ。
 強く願いを込めつつ。
 慎女将の温泉玉子、おしまい。